長嶋茂雄さんの訃報に寄せて

2025年6月3日午前6時39分、読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんがこの世を去った。
日本のプロ野球を「国民的娯楽」にまで押し上げ、高度経済成長を象徴するスーパースターだった。
少年時代を彩った「ミスター」との出会い
私が小学6年生だった1974年10月14日。学校が終わると急いで帰宅し、テレビの前にかじりついて長嶋茂雄の引退試合を見た。引退スピーチの入ったレコードを買ってもらい、擦り切れるほど聞いた。大学を卒業するまで、私の部屋には特大の長嶋茂雄のポスターが貼られていた。
巨人が嫌いという人に会ったことはあっても、長嶋さんを悪く言う人には出会ったことがない。なぜ、これほどまでに人々を惹きつけ、元気づけてきたのか。
王貞治とともに「ON」と呼ばれた時代。王が美しい放物線を描くホームランと静かな所作で魅せるのに対し、長嶋は打っても守っても走っても、常に躍動していた。対照的な二人が、プロ野球の顔だった。
「一生懸命」に宿るエネルギー
野球少年だった私が、最初に真似したのは「一生懸命に野球をすること」だった。「全力で」でも「必死で」でもなく、「一生懸命に」。長嶋のプレーからは、その姿勢がひしひしと伝わってきた。
そして、努力をすること。山籠もり、合宿、夜の素振り。競技に真摯に向き合うその姿が、マスコミを通して子供たちに届いていた時代だった。あの努力する背中に、私たちは元気をもらい、勇気をもらった。
「野球は人生そのもの」
これは、監督退任時に「長嶋茂雄にとって野球とは?」と問われたときの答えだ。
母校・立教大学池袋キャンパスの記念碑には、こう刻まれている。
「自分の持っているもの、すべてを出し切ったら、悔いのない一生になるはずです……」
その一瞬一瞬にすべてを出し切り、それが尽きることなくわき出るエネルギーで人を惹きつけた。私は思う。その源は、お客さんを人生レベルで幸せにしたいという強い思いと、自分の仕事を「人生そのもの」と言い切る覚悟にあったのではないかと。
上機嫌でやりきる、それが「人生の極意」
私は今、一生懸命仕事に向き合っているだろうか?
惜しみなく努力しているだろうか?
エネルギーを出し惜しみしていないか?
そして、自分の仕事を「人生そのもの」と言えるほど没頭しているだろうか?
疲れることもなく、ただ夢中でボールを追いかけていたあの頃。
グローブをつけたまま眠っていたあの頃のように、また今を生きてみよう。
この訃報に接し、私はそう心に誓った。
そしてもうひとつ、大切なこと。
長嶋さんは、いつも上機嫌だった。
上機嫌で努力し、上機嫌で一生懸命に取り組んでいた。
だからこそ、皆が応援したくなり、ファンになったのだと思う。
それはきっと、仕事を成功に導く極意なのだ。
長嶋茂雄さんは、永久に不滅です。
心よりご冥福をお祈りいたします。