ギリシアの神殿はすべて遺跡となった
「そういうことか!」と人を納得させるレトリック
「知的生活の方法」(講談社現代新書)で有名な上智大学名誉教授の渡部昇一先生が86歳の時に書かれた「渡部昇一の快老論」(PHP研究所文庫)の中に、ギリシア神話に触れた箇所があります。
「アガメムノンはミケーネの王であり、トロイア戦争におけるギリシア軍の総大将とされる人物である。その系図を三代以上遡ると、ゼウスやクロノスなどといった神々と結びつく。ギリシア神話の物語と考えられてきたが、シュリーマンによってトロイアやミケーネが発掘されたことによって、トロイア戦争は史実に繋がるものであることがわかった。」
「ならば、もし当時の王家の直系子孫が現在まで王家であり続けていたとしたら、その家系はギリシア神話の神々と結びつくことになる。日本の天皇はそれに等しい ―― ほとんどの西洋の教養人はギリシア神話をよく知っているから、この説明でピンとくるのである。」
西洋の教養人の多くはホメロスの叙事詩『オデュッセイア』を読んでいるので、このような説明をすると日本の天皇の存在を理解してもらえるのかと合点がいきました。
天皇家(皇室)は、日本神話においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祖とする血統(天孫降臨)であり、初代の神武天皇が即位されたのは紀元前660年であるとされていますので、渡部昇一さんの説明はギリシアの神の血統であるアガメムノンを尊重しつつ、共通する世界観を示しているといえます。
相手の世界地図(もののとらえ方や信じ込みなど)を尊重しつつ、むしろ応用して、同調を作り出すことで理解を共有する渡部昇一さんの知恵に学びました。
映画「オデュッセイア」を観てきました
ところで、ギリシア神話が大好きな私は、名匠クリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』を大きな期待を抱いて、日本最大級のIMAXシネマで鑑賞しました。
私の関心は、オリュンポスの神々をどのように描き、登場させるのか。そして実在の英雄たちとの絡み合いをどのように描くのかということでした。キャスティングも素晴らしく、CGに頼らず実写を重視したノーラン監督ならではのストーリー展開でした。
盲目の吟遊詩人であるホメロスによるトロイア戦争を扱った叙事詩『オデュッセイア』の内容を全く知らない人にとっては理解が難しいのではないかと思える場面がいくつもありました。
叙事詩『オデュッセイア』の面白さは神話の世界と実際にあったトロイア戦争を巧みに結び付けていることにあります。多神教の神々は実に人間的です。古代の人々は多様な人間たちの個性を際立たせることで数多くの神を作り上げたのでしょう。
そもそもトロイア戦争がなぜ起きたのかというと
人間と半神半人の数が増えすぎたことを憂慮したゼウスがトロイア王国とギリシア諸国を戦わせることで人口を減らそうと目論んで争いを仕掛けたことになっているのです。
さすがに神の手は込んでいます。両陣営の英雄の数が合わないと見たゼウスは人間の英雄と女神を結婚させることを通して、有名な英雄アキレウスを誕生させるのですが、その両親の結婚式に招かれざる客である女神エレンが来ます。
エレンは不和の女神なので会場には入れてもらえません。エレンは「最も美しい女神へ」と書いた黄金のリンゴを会場に投げ入れます。そうすると美しさを自覚するヘーラー、アプロディーテ、アテーナという三人の女神が黄金のリンゴを手にしようと揉め始めます。
そこでゼウスの意図を汲んだ伝令の神ヘルメースがトロイア国の王子パリスに裁定を委ねた結果、「自分を選んでくれたら最も美しい女を与える」とパリスに約束したアプロディーテを選びます。アプロディーテは約束を守り、ギリシア随一の美女と言われたスバルタ王妃であるヘレネをパリスに与えるのです。
美しい王妃を略奪されたスパルタ国王であるメネラオスは兄であるミケーネ国王のアガメムノンを総大将に立てて、トロイア戦争が勃発するのです。10年におよんだトロイア戦争を「トロイの木馬」の知略で勝利に導いた英雄がオデュッセウスです。
渡部昇一さんが西洋の教養人に天皇を説明するときに用いたアガメムノンとはこういう背景のある人物です。
遺跡とは継承できなかった過去の物語か
先に紹介した『渡部昇一の快老論』には、「『ギリシアの神殿はすべて遺跡になっているが、日本の神社は今なお大切に人々から信仰され、敬愛され、祀られ続けられている』と説明すれば、たいていは驚愕とともに、天皇そして神社のイメージを的確につかんでもらえるのである。」と書かれています。
ここに埋め込まれている前提となる精神性こそが尊いと思います。
アガメムノンはトロイア戦争へ向かう船団が風を得られず足止めされた際、トロイア王国側に与した女神アルテミスの怒りを鎮める名目で、長女イフィゲネイアを生贄として殺害しました。これを深く恨んだ妻クリュタイムネストラに帰国後、命を狙われることとなりました。そもそもアガメムノンが実在の人物であるという証拠は残っていないようです。美しかった神殿の多くは侵略してきた他国勢力が破壊しました。
一方で、日本の初期の天皇は神話的色彩が強いですが、初代とされる神武天皇から数えると現在の徳仁陛下は126代目の天皇ということになります。2680年以上継承してきたこと自体が、まさに奇跡なのです。
我が国が先の大戦で空襲による国土の壊滅的な被害を被ったにもかかわらず、長寿企業の数が世界で圧倒的に多いということとの間には精神的、文化的な関連があるに違いありません。
松下幸之助さんはかつて、日本の目指すべき道は「精神大国」であるとおっしゃっていました。息づいている文化を「遺跡」にしないためには我が国が平和であることがなによりも大事です。
他国の侵略を許さない、また他国が仕掛けてくる戦争に巻き込まれない国づくりのために必要なことを怠ることなく、繁栄と幸福に感謝して過ごす日々を送りたいものです。
