私たちは常に選択している
仕事や家族との関係で、感情が揺さぶられるような体験をすることは誰にでもあることでしょう。
あの一言で傷ついた。あの言葉で落ち込んだ。あれを言われてから気持ちが晴れない。
思い出すだけで、腹が立ったり、悲しくなったり、怖くなったり、気持ちが落ち込んだり……。
私自身も、そんな体験をすることがあります。
私は、人志向か成果志向かと言われると、人志向なほうです。成果をつくること以上に、人との関係に意識が向きやすい傾向があります。
一方、成果志向の強い人は、人間関係よりも、成果をつくるために必要なことに意識が向く傾向があります。
そういう人と話していると、私には相手が「話が通じない人」に見えてしまうことがあります。
相手が後輩や部下であれば、「人の気持ちがわからないやつだなあ」とイラっとする。
反対に、相手が上司だったり、私にとって権威ある立場の人だったりすると、「怖い」とか「責められている」と感じる。
正直に言うと、こちらは今でも感じることがあります。
なぜ、怖いとか責められていると感じるのでしょう。
相手は、私を怖がらせたり、責めようとしたりしているわけではないことは、私もわかっています。
それでも、自動反応的に「怖い」「責められている」と感じてしまう。
そのような時、私は自分にこう問いかけます。
「なぜ私は、わざわざ怖い、責められているという感情を選んでいるのだろう?」
相手の言葉が私を怖がらせているのではなく、私が怖いと感じている。
だとしたら、なぜ、怖がらなくていいものを怖いと思っているのだろう?
自分の感情に興味を持つのです。
その前提にあるのは、
「この感情は、私が選んでいる」
という立場です。
こう言うと、「感情なんて選んでいない。勝手に湧いてくるものだ」と思う人もいるかもしれません。
確かに、感情は自動反応のように感じます。
でも、同じ人から同じことを言われても、怖いと思わない人もいるでしょう。
腹を立てる人もいれば、何とも思わない人もいるかもしれません。
同じことを言われても、人によって反応は違うのです。
だとすれば、相手の言葉そのものが、私を怖がらせているわけではありません。
同じ言葉を受け取って、私は「怖い」という反応をしている。
それを私は、「自分が選んでいる」と捉えています。
では、なぜ私は「怖い」を選んでいるのだろう?
そうやって、自分の中で起きていることに興味を持って探求していく。
すると、あることに気づきます。
「そうか。人志向と成果志向の違いか」
私が責められているわけではない。
怖がらなくてもいい。
相手は、成果をつくるために必要なことに意識を向けているだけなのかもしれない。
そして、必要な情報を私に伝えようとしているだけなのかもしれない。
そう思うと、それまで敵のように思えていた相手が、同志のように思えてきます。
すると、「怖い」とか「責められている」という感情が、すぅーっとなくなっていくというか、あまり感じなくなるのです。
不思議なものです。
自分が選んでいるという立場に立つと、感情に飲み込まれるのではなく、自分の中で何が起きているのかに興味を持つことができます。
そして、自分が選んでいるのなら、選び直すこともできるのです。
もちろん、私もすぐにできるようになったわけではありません。
日々、自分に起きていることを観る。
興味を持って探求する。
そして、必要なら選び直す。
それを繰り返すことで、少しずつできるようになりました。
私たちの感情を揺さぶる出来事は、これからも起きることでしょう。
そんな時、
「なぜ私は、わざわざこの感情を選んでいるのだろう?」
という問いと共に、自分自身に起きていることに興味を持って探求してみてください。