カリスマなんて結果論
「16歳からのリーダーシップ」(一條和生、細田高広共著 日本経済新聞出版)の中に、「カリスマなんて結果論」という小見出しがありました。その内容として紹介されているのが松下幸之助でした。松下幸之助は私が実際にその謦咳に接した恩師ですし、「リーダーとは?」を探求することは、私のライフワークのひとつでもありますので、この小見出しを今回のコラムのテーマにお借りして、リーダーシップに関する考えを述べたいと思います。
ドラッカーの定義で目が覚めた
歴史小説や評伝を読むと、偉業をなしたリーダーたちの魅力や能力が様々な角度で描写されており、同じ人間とは思えないくらいに感じて、遠い憧れの存在になっていました。ですから、青春時代の私は自動的に、「リーダーとはカリスマ的な人物だ」と信じ込んでいたようです。
ところが、「われわれにとって重要なことは、カリスマ性の有無ではない。カリスマ的であろうとなかろうと、政治的リーダーが正しい方向に行くか、間違った方向に行くかだけが重要である。」(「新しい現実」 P・F・ドラッカー ダイヤモンド社 1989 年)という言葉に出会い、自分の信じ込みに気づきました。
「もちろん、リーダーシップは重要である。(中略)それは、いわゆる『リーダーの資質』などとは、ほとんど関係ない。『カリスマ性』とはもっと関係ない。それは神秘的なものではない。平凡で退屈なものである。その真髄は、行動にある。」(「未来企業」P・F・ドラッカー ダイヤモンド社 1992 年)とドラッカ ー氏は明快に言うのです。
リーダーシップは、持って生まれた資質やカリスマ性とは関係がない、というドラッカー氏の指摘によって私の視界が広がりました。今からでも、人は価値ある行動によってリーダーシップを発揮できる可能性があるということを意味しているのですから。
松下幸之助は自らの生成発展の結果である
幸運なことに、私が松下幸之助と初めて面接する機会を得たのは、彼が 87 歳のときでした。「経営の神様」と呼ばれる人物が目の前にいるわけですから、自分の心臓の鼓動が聞こえるほどに緊張しました。
その後、数年間にわたり、息遣いが分かる距離で何度もお話を伺い、質疑応答の時間を過ごすことになりましたが、確かに存在感がありました。オーラを放っていましたし、場のエネルギーを作っていました。
その存在の仕方はカリスマ的だと言わざるを得ませんでした。 しかし、松下幸之助の生い立ちから履歴を追ってみると、喪失感、孤独感、病弱な体を抱えて四苦八苦する青年期から壮年期を生きていた人物だということが分かるのです。私たちは結果から推論して偉大なる成功を成し遂げた人物は若いころからカリスマだったのだと勘違いする傾向があるのです。
松下幸之助の履歴を通して、カリスマは生成発展の結果なのだということを知ることができます。では、ドラッカー氏が言うように、リーダーシップの真髄は行動にあるとするならば、どのような行動がリーダ ーシップの真髄を表しているのでしょうか。
スタンドアウトしなさい
かつて勤務していた会社のアメリカ人オーナーから、「もしもあなたがアウトスタンディング(=目覚ましい)な人生を生きたいのであれば、スタンドアウトすることです」と言われました。スタンドアウトは目立つ、突出するという意味ですが、その第一歩は、「私は私にとっての真実を伝える」という精神的態度、心の構えがあるかどうかどうかだと思います。ありのままの自分を表現するとき、自分の大切にしている価値観に従って表現するとき、リーダーシップを発揮しているのです。
実際、私たちが組織でチームコーチングをリードしている過程で、チームのメンバーは必ずリーダーシップを発揮せざるを得なくなります。あるメンバーが緊張しながらも、「ちょっと待ってください。自分の考えていることを話していいですか」と言って立ち上がり、集団の前に出るという行動を見せたとき、その人物はリーダーシップを発揮して仕事をしているのです。
